熊野古道・伊勢路ハイクに参加して(2010/3/2122

1日目〔曽根次郎坂・太郎坂から逢神坂(おおかみざか)越えコース〕
今回の参加者は
6名(沖本、横内、谷口、家村、尾崎、大久保)、車2台に分乗して島本町阪急水無瀬駅前を午前6時過ぎにスタートしました。名神−新名神−伊勢道を経由して尾鷲市の三木里に午前9時半頃に到着。荷物を一旦、民宿「油屋」に預けて身支度を整えた後、ハイクを開始しました。最初の峠、三木峠への山道に入り、ほどなく歩くと峠に到着。尾根からは深い入り江を持つ賀田湾が望むことができました。峠を越えて下る途中で南紀特産の「甘夏」狩りをしている親子ずれの家族に出会い、こちらから何気なしに声をかけると子供たちが甘夏を携えてやって来て甘夏をあげるとのこと、二ケース(8個)をいただいたお返しにと携帯していた「お菓子」をあげることにしました。いただいた甘夏は甘酸っぱくて美味しく、その後の何回かの休憩でいただくことになりました。農道に出て、羽後峠への緩やかな坂を登り、峠を越えて下ると猪垣(イノシシの侵入を防ぐために石で造った垣根)が続き、やがて幹線道路を横切り賀田の集落に入りました。JR賀田駅を過ぎ、曽根の海岸を進むと飛鳥神社の森が見えてきました。神社の手前に旅の神、道祖神が祀られており、樹齢1000年といわれる楠の御神木に出会いました。記念撮影した後、隣の飛鳥神社へ詣でて道中の安全を祈願しました。神社入り口の石垣は、珍しい丸い大きな石で造られていました。神社から民家の脇を通り、甫母(ほぼ)峠へと続く墓地を登って行きました。登り口に大きなソメイヨシノの桜の木があり、南紀の温暖な気候のせいか、すでに7,8部の開花でした。これから向う峠は、曽根次郎坂・太郎坂と呼ばれ、中世まで志摩と紀伊の国境だったそうです。ヒノキの森が続く曽根次郎坂の石畳を登る途中、所々で行き倒れた巡礼者の供養碑を見かけました。峠を過ぎて曽根太郎坂を下り、猪垣を見ながら二木島の国道に降りてきました。国道に出た先にあるコンクリートの階段を二木島峠へと登って行き、峠を越えてしばらく尾根伝いに歩くと逢神坂峠に到着。峠の名は伊勢と熊野の神が逢うところ、または狼が多く出たことに由来するといわれています。苔の生えた石畳を下って行くと美しい新鹿(あたしか)の海岸線が見えてきました。海岸線横の道路を通り、道に迷いながらも第一日目の終点、JR新鹿駅に到着した時、辺りはすでに薄暗くなっていました。JR新鹿駅から電車を利用してスタートした民宿のあるJR三木里駅に戻ってきました。1日目は約16キロ、約7時間のハイクでした。

2日目(八鬼山越えコース)
民宿「油屋」で朝食をいただき、出発前に民宿前の三木里浜(海水浴場)に出て記念撮影。これから登る八鬼山越えは、西国一の難所と恐れられ、狼や山賊も数多く出没したそうです。JR三木里駅から電車を利用して尾鷲の手前のJR大曾根浦駅で降り、ガイドブックの案内はJR尾鷲からの出発コースでしたので、しばらく歩いて通りがかった人に八鬼山への入り口を訪ね、何とか尾鷲節歌碑が立つ入口に到着。ここで尾鷲市内在住の年配夫婦に会い、これから八鬼山に登るとのことで我々と一緒に登ることになりました。しばらく桜並木の緩やかな坂を歩くと登り口に到着。登り口あたりから、赤色が混ざった珍しい大きな石が点在してみられました。更に登って行くと、故郷から旅に出た多くの巡礼者たちが、この難所で行き倒れたと案内されている「行き倒れ巡礼供養碑」を見かけました。このコースの中で最も美しい石畳が続き、駕籠(かご)立場(紀州藩主や幕府巡見使が駕籠から降りて休んだ場所)に到着、さらにヒノキの森を登って行くと七曲りと呼ばれる九十九折れの急坂が続き、一番の難所を越えると九木峠にでました。近くに休憩所があり、ここで昼食用として民宿でいただいた目張り寿司(熊野地方の高菜の漬物でくるんだ握りご飯、ご飯はしょうゆ味)を食べることにしました。昼食後、休憩所の横から登って行くと、ちょうど休憩所の上に大きな岩があり、そこが八鬼山の山頂(標高600メートル余り)とのことであった。この付近から江戸道と明治道に分かれるコースがあり、江戸道の入り口に芝生の広場「さくらの森エリア」がありました。この広場からは霞んではいましたが遠くの志摩半島を見渡すことができました。また、深く入りこんだ漁港、その向こうには広大な熊野灘が広がって大パノラマを望むことができました。ここで昼食をとればと思いながら、広場からみる景色にみとれていると、八鬼山の入り口でお会いした年配夫婦が昼食をとっていました。また、名古屋市内から来たという若い女性二人にも会い、我々と同じコースで尾鷲から八鬼山に登り三木里へ下るとのことでした。休憩後、急な尾根道を下り、途中で明治道と合流し、長柄の一里塚にでました。途中で、たくさんの杉の木に白いペンキで長柄住民は(世界遺産登録)反対と書かれているのを目にしました。今回で熊野古道のハイクは4回目でしたが、このような光景は初めてで、反対意見が一部の住民にあり、神聖な山にたくさんのハイカー達が押し寄せて環境を破壊して帰って行くのに我慢出来ないのでしょう。しかし、どの程度の環境破壊が生じて、それにはどうしたらよいのかを少し考えさせられました。下ってきた一里塚では、先ほどの年配夫婦に会い、この夫婦は当初、八鬼山から引き返すとのことでしたが、途中で気が変わったのか我々と一緒に下ってきたようです。また、東京から来た男性一人にも会い、時間があればここから羽後峠に向いたいとのことでした。民家の間を抜けて国道311号線に出て、国道から三木里の海岸沿いの道に入って歩きながら海岸線を眺めていると、海辺から八鬼山の広場で出会った若い二人の女性がこちらに向って手を振っているのが分かり、此方からも手を振り返し応答しました。しばらく歩くと、今朝、記念撮影した三木里海水浴場に戻ってきました。一旦、民宿に戻って着替えをして荷物を片づけた後、三木里を後にしました。二日目は約10キロ、約5時間のハイクでした。